スマホのアップデート

愚痴。

 

ドラマ「MIU404」が始まる前の数分、「SIMカードの不正利用への最低限の対策として、スマホのアップデートは必ずしよう」ということを中居さん司会のバラエティ番組で、「専門家」として出演しているっぽい方が言っていた。

OSのアップデート = スマホのアップデート なのか。スマホの基本的なところはOSによって動いているからそれでいいのか。専門家らしき方が少し苦笑いしながら言っていたので、スタッフ(制作?)との打ち合わせで、「う~んOSって何?ってなりそうだから、簡単にスマホのアップデート、って言ってもらっていいですか?」みたいなやりとりがあったのかな、と妄想してしまった。というか、そういう言葉とか単語に対する軽視の隙を詐欺は突いてくるんじゃないか、とも思う。

 

野木亜紀子さん脚本のMIU404はめちゃくちゃ面白い。アンナチュラルでも逃げ恥でもコタキでも(カルテットでも)、食べ物を食べることがちゃんと描かれるだけでちゃんと登場人物が「生きてる」感じがして安心する(そこがメインではないけど)。陣馬さんが窓からうどん湯切りして仮事務所追い出された後、引っ越し後もちゃんとキッチンでうどん作り続けてるの、慈しみの気持ちが沸いてくる。

 

愚痴2。

 

朝、時計をみるためと、人の声を耳に入れて多少目を覚ますためにNHKあさイチをつけている。少しずつスタジオにゲストも呼ぶようになってきている。で、そこでゲストに対してされる「自粛期間中は何をして過ごしていましたか?」という質問。

「自粛期間」、、、、せめて「緊急事態宣言中」と言ってほしい。前回から書くことに困ると辞書を引用してしまっているけれど、「自粛」をGoogle検索した結果は

《名・ス自》

自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。
 「報道を―する」 
(Oxford Languagesの定義)

Google翻訳で英語にすると「Self-restraint」、それをまたひっくり返して英→日にすると「自制」。自分を制すること、は、そのための期間を要請されなくても、公(社会?)に関わる行動をする際にはなされるべきことじゃないのか。

「自粛期間は何をされていましたか?」という質問は、「みんなで自粛、してましたよね?私はしていましたよ、自粛。あなたも当然していましたよね?」という暗黙の確認(かなり被害妄想的ではあるけど)に聞こえてしまう。実質的に緊急事態宣言 ≒ それまでより強めの自粛要請 でしかなかったので、間違ってはいないかもしれない。だとしても、「自粛期間は~~」って語り続けることは見聞きしていてかなり不健全だなと思う。

 

「言葉 ≠ 伝わる」


GRAPEVINE - 大人(NOBODY NOBODY) (Official Live Video)

 

劉 慈欣 作「三体」にハマった。Ⅰ巻は紙の本で買って、1週間くらいで読んでしまった。続きが早く読みたい。けど単行本を置いておく場所なんてもうないから深夜テンションも相まってKindle Paperwhiteを買ってしまった。読みやすいし、紙で買った本を読み終わった後、所持し続けるか、売るか、あげるか、捨てるか、というようなことを考えなくてよくなったので、よい買い物になった。

少し前、2か月前くらいに読んでいたら面白さに興奮はしつつも、もっと本気で気持ちが落ち込んでいただろうな、と思う。NetflixでLA92を観たときと同じくらい落ち込んだので、逆に?いえばそれくらい(現実を録画した映像と比べても遜色ないくらい、あるいはそれ以上に)フィクションの中の登場人物がしっかりと生きているように感じた。

Ⅱの上巻、序盤で「三体人にとって思考 = コミュニケートだ。だからなにかを隠す、うそをつく、といった地球人の思考≠コミュニケーションだからこそできる行為が理解できないし、怖い」という設定が開示される。三体世界の実質的に生きるのが困難な環境に適応した結果そのように進化したのか。というか「思考=コミュニケーション」は「思考≠コミュニケーション」より進んでる、ということになるんだろうか。

そう進化することが三体世界に「文化」がない要因なら、進化なんてしない方がいいな。

 

ROTH BART BARONからドラムの中原さんが抜けて、実質三船さんのソロプロジェクトになった。新体制の配信ライブが脱退発表から1週間後に行われて、めちゃくちゃよかった。よかったけど、春の嵐とか、skiffle songとかの、ここぞとばかりに怒涛のように叩く目の覚めるようなドライブ感はやっぱり無くて、寂しさはある。慣れていくんだろうけど、chef cooks meのニーチェさん、KIRINJIのコトリさんのことを考えてると「君がいないことが、君がいることだな」的喪失感に苛まれてしまう。

せめてパーシモンホールまでは、というわけにはいかなかったんだろうな。脱退、とかが必然的に節目になってしまうバンドって形態はやっぱり不健全なのかもしれない。