221009 10:57〜11:17 百瀬文『クローラー』

国際芸術祭あいち2022の会期末に行われた掲題の新作パフォーミングアーツに衝撃的に心打たれた。一生ものの20分だった。個人的記録としてのこしておく。

 

暗闇のなか立ちつくす、すくむ。

あなたはあなた自身の身体が好きですか?

ふだんあまりそういうこと考えないですか?

Mayumiさんの自慰行為についての語り

スポットライトに照らされた車椅子が見えたとき、少し安心する

ずっと立っていて疲れませんか?

ちょっと座ってみてください。

わたしにとっても触り心地の悪い椅子でした

 

エクスタシーの光へ向かってクロールする

海の向こうにうすくみえる灯台

目が悪いので、光が単純に2つ上下に並んでいるように見える

代わりに行ってください、私はいけないから

ゆっくりで構いません

それはいつも彼女がかけられている言葉なのかもしれない

畳で、熟年夫婦が布団の上でなんとなくし始まるAVが好き。

なんかそういう気分になっちゃって、っていう

床の間で、布団を敷いて、転がって抱き合って

慣れましたか、ちょっと冷たいですか

Mayumiさん個人の話から、他者との関わり、身体障害者向け風俗の話へ

実際にお客さんとして接したのはひとりだけで、ほんとのサックスはしたことないし、あまりうまくできなかったけど、裸同士で、ベッドの上で強く抱きしめた

抱きしめ合うと、安心する、って言ってもらえた

光が少しずつ弱まり、水の音が聞こえ、人影が奥からやってくる、顔は見えない

人影は自分の横を通り、後ろへまわる

ここでいま自分が水の中、上、にいることにやっと気づき、また身体がすこしこわばる

光はひとつでふたつだった

車椅子を引かれ、押され、薄く光る光の周りを一周する

車輪が水を切る音はせず、押している方の足が水を少し切ってはねる、ぽちゃぽちゃという音と声だけがある

 

光の前に戻ってくる

光がまた少し強まり、台形、5角形のガラス、のようなものの上にあることがわかる

鏡の前で、全裸で、自分を見ながらしてみたけど、興奮しない、できなかった

水面上で跪き、光の下に手を差し伸べて、中指を少し上に伸ばす

隣に、恋人でもない、ヘルパーさんでもない、誰かがいて、鏡越しに見て、触ってくれていたり

私は私で好きなビデオをみて

気まずくなって、ちょっと微笑みあったり

仲良くなったら一緒に観てもいいかもしれませんね

これが私が自分でするときの指の形

もうすぐ夜が明けます

たまにこの指の形のこと、思い出してください

いつかあなたがひとりになっても大丈夫なように

 

光を背にして、二人で進む。

プール、海から上がる。二人だから寂しくない

車椅子のロックをかけてもらい、幕をめくってもらい、自分の身体に、物語に、現実に戻っていく、二本の脚で歩いて。

それがいつまでできるかわからないけれど、できなくなっても、独りになっても、

あの声を、光を、手を、思い出せば、大丈夫。

 

210901

ロキノンの音楽文がサービス終了するらしい。4月に思い立って書いた文章が載ったので、記録としてとっておく。

元ページ:未来を愛で満たす、ために – NICO Touches the Wallsがおいてった「?」 (Tatsuro) 2021/4/13 | 音楽文 powered by rockinon.com

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【未来を愛で満たす、ために】
NICO Touches the Wallsがおいてった「?」

 

「複数選択した場合でも、音楽文サイトでカテゴライズされるのはタイトル・サブタイトルに含まれたアーティスト名となります。」

音楽文 powered by rockinon.com、投稿フォームの最初の項目、「アーティスト(複数選択可)必須」の注にこう書いてある。そうか、アーティスト名というのはカテゴライズするためにあるのか、と考えてしまう。

NICO Touches the Walls」

というアーティスト名、バンド名はどのようにカテゴライズされる?世代によってまちまちだろうが、反応として多いだろうなと思うのは「auのCMで手をたたけが流れてたよね」「NARUTOのオープニング、かっこよかったよね」といったものだろうか。世間的なカテゴリー is 「コンスタントにいい曲出してテレビでもたまに流れたけど、バカ売れはしてなさそうな邦ロックバンド」?。そんな彼らは結成から15年が経った2019年11月15日に

 <さあ。

 「壁」はなくなった!

 一度きりの人生、どこまでも行くよ!>

と締めくくるステートメントを出してバンドを終了させた。

「壁」を超えていくためのバンドだったはずが、バンド自体が「壁」になっていた。

 

それからおよそ1年半経った今、Spotifyでアーティストページを開くと、TOP5は以下の曲達だった。

 1.ホログラム

 2.ニワカ雨ニモ負ケズ

 3.Diver

 4.マシ・マシ

 5.Broken Youth

すべてアニメのタイアップソング。その下に続く「人気のリリース」は上から順に

 ・オーロラ(2009. アルバム)

 ・ニコ タッチズ ザ ウォールズ ノ ベスト(2014. ベストアルバム)

 ・Diver (2011. シングル)

 ・マシ・マシ(2016. シングル)

となっていた。タイアップ曲の入っていない最新作、2019年の「QUIZMASTER」にたどり着くためには、「ディスコグラフィーを見る」をタップして、もう1階層奥へとページ遷移しなければならない。

もちろんタイアップも名曲ばかりで、彼らの音楽であることに変わりはない。アルバムやカップリングを聴くきっかけになる。けれど、生きていて気にかけないといけない、気になる情報はどんどん増えていく。限られた時間、生活の中で、きっかけから実際に行動に移すことのハードルは高い。

そういったハードルをいくつも超えてライブに足を運んだリスナーを、彼らは絶対にないがしろにしなかった。どんどん新しくなるアレンジや会場やオーディエンスによって変わるグルーヴを全力で、楽しみながら更新し続けていった。セールスの結果が芳しくなくても、自由に音を楽しむライブを続けられていれば、彼らの(僕らファンの)未来は明るいと思っていた。

しかし、ライブでもセールス面での壁はずっとあった。2018年の“N X A”TOUR追加公演、10/19(金)愛知 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール。SOLD OUTしていないというのは知っていたが、実際に会場へ行くと、1階席の後方数列は空席だった。おそらく2~3階までのすべての席のうち、6割埋まっているかどうかというところ。同じツアーのライブハウス公演(6/23 (土) Zepp Nagoya)は満員だったのに。ショックだった。沢田研二さいたまスーパーアリーナ公演のチケットセールスが芳しくなく、公演当日に中止を決定した数日後だった。NICOのボーカル&ギター光村龍哉はアンコールで「俺らは待っていてくれる人が1人でもいれば必ず出てくるから!」と胸を張って言った。感謝や嬉しさがありつつも、不安だった。

翌2019年、再度のツアーを経て発表されたアルバム「QUIZMASTER」は上でも述べたとおり、初めてタイアップ曲も、CDでの先行シングル発売もない、やりたい放題「音楽」した最高にかっこいい、としか言いようのないアルバムだった。必聴。

そしてそのアルバムはSpotifyのアーティストトップページには表示されない。アルゴリズムによって。ユーザーが聴いたデータによって。

 

アルバム「QUIZMASTER」収録されている曲名にはすべて末尾に「?」がついている。最高にかっこいいのに「?」だらけのアルバム。バンド終了の報せを受けて以来ずっと、頭の中も「?」だらけだ。

NICO Touches the Walls」の音楽以外の部分が、音楽にとっての壁だったのか?

音楽だけは手からこぼれ落ちないように、とがむしゃらに活動を続けてきた結果、こぼれ落ちたものが積み重なって壁になっていたんじゃないだろうか?

マネジメントの中のことはわからないけれど、例えばサカナクションが「チームサカナクション」と呼ぶような、信頼の厚いチームは周りにいたのか?アジカンのドラマー伊地知さんのように料理が得意であれば、そういった音楽以外の好きなことも仕事にできるような環境だったか?誰か気になるアーティストがいたら、ときにはレーベルの枠も超えて共作、コラボ、プロデュースなどができるような体制はあったのか?

つくりたいものを、つくりたいときにつくることができる環境だったのか?

自分たちリスナー、ファンはその環境にどういう影響を与えていただろうか?

休まずに、またすぐアルバムを作って、ツアーをして、というのを続けてほしかったわけじゃない。時間がかかっても「?」が解けた、その先の音楽が聴いてみたかった。

彼らが彼らの曲、「image training」の歌詞のように、「飛びたい方に もう一度僕は走り出す」ために、ひとりの音楽リスナーとしてできたことは何だったのか?そして今、自分が応援しているアーティストが健やかに、つくりたいものをつくりたいタイミングでつくるために、できることは何なのか?

 

<未来を愛で満たせたなら ―18? より>

 

そのために、イメージし続けることをやめない。

「?」を無視しない。

「?」をアーティストだけに押し付けない。

リスナーも一緒に「?」をみつけ、解いていく。

これからも心ふるえる、新しい音楽が聴きたいから。
 

210516

メガネ

というメモだけ残して書いていなかった。弱い雨の中を散歩する。湿気のせいか、気温は高くなくても少し汗をかいた。眼鏡をかけているとレンズが雨に濡れるのが嫌で、雨量がほんの僅かでも傘をさしてしまう。降ったりやんだりのときは、やんでいるのにさしてしまっていることもたぶんある。そういうときに被害妄想的に、傘をさしていないひととすれ違うと、「雨降ってないですよ」と言われているような気持になる。眼鏡が濡れるのが嫌なんです。コンタクトにすればいいじゃない。コンタクトは怖い、目にものを入れるのが怖いんです。眼鏡。目鏡。

だいぶ前。大雨の渋谷、地下に下る階段で、スカートの裾が地に擦れて濡れている女の人とすれ違った。2人組だったと思う。おしゃれやけど家に入った後どうやって処理するんだろうとぼんやり考えていると、自分の後ろからきた30歳前後くらいにみえる男の人が「裾擦れてますよ」と直接女の人に言った。案の定というか、女の人は(うろ覚えだけど)「知ってるし苦笑」みたいな反応をして軽やかに2人で去っていった。

cero髙城さんの影響で聞いたpodcast「哲学の劇場」で話していた「本を読む―読まないの間にはかなりいろんな差がある」というのと近く?て、想像(思考?)する―しないの間、言う―言わないの間、書く―書かないの間にもそれぞれ違った、しかも人によってもかなり差のある差がある気がする。

 

210501-09

某日。豊田市美術館にボイス+パレルモをみにいく。二人とも、とくにボイスは使いたいものを使って作りたいものをとにかく作るんだ、という執念。ボイスのアクションを取り囲む人の眼は、いまのライブとかでスマホカメラをひたすら向けるしぐさと何ら変わらないような気もした。パレルモは終盤に配置されていた建物内部の壁画のためのドローイングが印象的だった。帰りはにわか雨に降られた。家でボイスのドキュメンタリーを、ビデオマーケットという謎プラットフォームでみる。スマホで買ったものはFireStickで観られない仕様というか不具合が起きていて少しイラつく。結局PCでみた。少し前にドキュメンタリーをみた影響もあるかもしれないけれど、思想、行動は違うにしても、受け答えの聡明さとか、たたずまいが三島由紀夫と重なる部分があると思った。ドクメンタ「7000本の樫の木」は、木の隣に設置する形を変えない岩を死を象徴とするのに対して、バインのねずみ浄土で知ったバナナ型神話では、石は不老不死の象徴とされていて、勝手に対照的だと思った。

某日。夏日だった。別に目新しくない範囲をぐるぐると歩く。冷やし中華ランチをやっている店を見つけたので入る。チャーハンと冷やし中華で750円とかだった。おひとりさまなのでセパレート円卓に案内される。歩き疲れてぼーっとしていたのもあってか円卓が回るのを忘れて、というか何も考えずに向かいにある水を立ってとりに行ったら店員さんに「回るよ」と言われて恥ずかしかった。冷やし中華はレタスときゅうりがたくさん散らされている感じのやつ。マヨネーズとからし冷やし中華に必須なのは自分の実家だけなのか。味を変えたいとラー油をかけたら、かけすぎて喉にきた。食べている途中で、フードデリバリーサービスmenuの営業さんが入ってきたけれど、女性のホール店員さんがやんわり断っていた。支払いはPayPayが使えた。

某日。この日も夏日。両親と弟が近所に買い物に来たので洋食屋で昼食を食べる。父(50代)は白髪染めをやめたようだったけれど、それについてはとくに触れなかった。少し歩いて豆花をテイクアウトして公園で食べた。別れたのち、映画を見に行った。エスカレーターで8階まで上がる。一人用の幅のエスカレーターはどちらに立つとかを考えなくていいのでよい。

某日。曇りだけど寒くない。昼前に実家に行く。途中の駅で車で拾ってもらい、スーパーでさんまと太刀魚の干物とかつおのたたきを買った。自分の運転で帰る。家で母がYOASOBIの夜に駆けるをずっと鼻歌で歌っていた。鹿児島で友達の車の中で、YOASOBIとずっと真夜中でいいのに、TWICEとNiziUの区別がつかない、という話を数度したのを思い出した。TWICEは曲中に「TWICE」と言うらしい。

210428 ヌトミック+細井美祐『波のような人』

カフカの変身が原案ってことで慌てて読んでいたけど結局間に合わなかった。データになった「男」が最後どうなるのか、よりもデータになるのが「女」じゃなくて「男」で、一家には妹と母=「女」だけが残る、ってことが重要なのかなと、あとでTwitter検索でみつけた「家父長制を真ん中に置くとしっくりくる」という感想をみてようやく腑に落ちた(改めてみたらパンフレットにも「家父長制」というワードが書かれていた)。原案の変身では虫という実存するものに変わるけど、データは見えない。だから変身というよりも、声なのか何なのかよくわからないものが家に残ってる状態の失踪。カルテットの靴下よりは厄介だけれど。結局身体がなければお金も稼げないし、目に見えないものーたとえそれが家族であってもーを相手にしてるほど暇じゃないし。実存している人、この場合は残った女性2人、はどうやって生きてくか、どう生計を立てるかを考えざるを得ない。というかどう生きていくか≒どう生計をたてるか、なのやっぱりしんどいな。なぜあえて「データに変身」と明示したのかに関してはよくわからない。

最初に母が舞台上をくまなくクイックルワイパーがけするために、「挽肉とキウイ」を作る用の台所を天井から吊って降ろす演出が最高(文字で表現するのムズい。水道のホースが天井から伸びていた)。本番中に料理しているのを見るのは「バッコスの信女」(焼肉、同じ会場)以来だった。県芸の小ホールは寛大なんだな(わからんけど)。マスクしているからバッコスの焼肉よりも匂いは感じなかった。

 

210425 鹿児島3日め

7時くらいに起きる。友達に朝食を作ってもらう。ベーコンエッグ、ボイルソーセージ、レタス、コーヒー。テレビを見てぼーっとする。休日感。

ひとしきりだらだらした後、曽木の滝を見に行く。山を登った先にあるのかと思ったら案外登らずに到着したのでこんなとこに滝あるん?となる。駐車場に着くと売店から音飛びした絶妙に懐かしいJPOP(覚えてるのはRPGとLovers Again)がそこそこの大音量で車を降りた観光客と広い空に向かって放たれてた。そこのお土産は結局みてない。友達のトイレ(昨日の氷結で腹を壊したらしい)待ちの間おっちゃん2人の話を盗み聞く。昔は駐車場から滝が見えたけど、今は隠すための木が植えられて観光地化された、みたいな話。滝は写真のようなナイアガラ感はなかったけど、逆にそれがよかったし、なんか怖かった。落ちたら即死じゃなくて、痛いし大怪我するけど死なない高さ。この滝から前日にみた川内川に流れていくらしい。水が青緑。できた当初は床が透明だったと推察する展望台。滝から見えて、帰りに通った橋で愛の不時着でセリがスイスで飛び降りようとした橋を思い出した。あれほど高く、長く、雄大ではなかったけれど。

行きとは違い、余裕をもって空港へ送り届けてもらった。帰りたくなさ過ぎて空港で全く写真を撮ってない。ドトールと黒豚ラーメンが並んでるフードコートはドトールしか開いていなかった。しっかり食べられる時間もあったけど、結局パン屋で黒豚カレーパンとクリームパン。自販機で阿蘇牛使用抹茶オレを買った。お土産を物色するも、お菓子系は意外と日持ちしないものが多い。ジャバティーを買って飛行機に乗る。

予定よりも巻で到着。あたりまえだけど鹿児島と光が違う。山にあたるよりもコンクリにあたって跳ね返ってくる光が多くてしんどさを感じる。

帰ってシャワー浴びて、バイン野音配信をみて、日持ちの関係で自分用にしか買えなかった蒸気屋(「気」はたしか旧字だった)のかすたどんとかるかんを1個ずつ食べて寝た。

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210424 鹿児島2日め

朝、7時半くらい。宿近くの24時間営業のモスバーガーで朝食。食べて少しすると観光っぽい人や地元っぽい人がちらほら入ってくる。地元民っぽい老夫婦が隣の隣のテーブルにきて、ポイントカードを今日は出さなかったのか?あとで出すのか?みたいな話をずっと(たぶん実際は3分とかだけど体感10分くらいに引き伸ばされて感じた)していた。鹿児島にいる友人と合流するまで時間があるので、海沿いの防波堤兼ランニングコース兼釣り場、みたいなところを歩く。曇りと逆光で桜島はほぼ真っ黒にみえる。原付を停めて釣りをしている人がちらほら。大量のテトラポッドを久々にみた。前日に引き続き空が広すぎる。宿に戻ってテレビ流してぼーっとする。チコちゃんに叱られるの再放送。亀の子たわし開発ストーリーの再現を橋本じゅんさんが演じていた。

鹿児島に住んでる友達に宿まで迎えにきてもらう。車の中でマスクをするべきか微妙に迷う。対面で食事してるんだから、って途中から外してた。天文館周辺を歩く。居酒屋、パチンコ、カラオケ。途中で少しだけ雨に降られた。10時台だったからまだ開いていない店の方が多い。アーケード内ではフリマの準備をしていた。賑わっていく前の商店街は歩いていて気持ちいい。11時開店を待ってむじゃきで白くまを食べる。ひと口めは甘っっ!!となったけど練乳濃すぎないし、果物は全部美味しいし、軽く完食。友達がメロンが苦手、というのをたぶん初めて知る。車に戻ると火山灰だらけになっていた。「泥雨」というらしい。車体が黒いから余計目立つ。

kagomaniaという鹿児島モチーフデザインのお土産屋に寄る。ちょうど車の中で話していた向井太一の曲がかかっていた。靴下を買う。足が小さい(25.5cmくらい)のでメンズ(25~27)かウィメンズ(23~25)か迷う。いつもメンズを買って脱げてきてしまったりするのでウィメンズを買ってみた。

仙厳園へ向かう。道中は、最近の車はナビじゃなくて、スマホの画面が移せればいい、あーーたしかに、みたいな話から、ipod classicとか、懐かしデバイスとかサービスの話をしていた気がする。仙厳園は土曜日かつ天気がいいからか、駐車場はほぼ満車だった。けど中に入ると広いので、ショップ以外ほぼマスクは外していた。ゴールデンカムイ(後で調べて知った)とのコラボパネルが何か所かに置いてあったけど、ほとんど誰からも相手にされていなかった。園内はひたすら広くて静かで、水が常に近くで流れていた。

「万さく」で昼食。13時すぎくらいに着いたけどほぼ満席で、席を片付けてもらう間入り口で少し待っていた。こういうときにうまくふるまえない。3回くらいそれぞれ別の店員さんに「いらっしゃいませ、何名様ですか?」と聞かれ、ムズかった。レディース御膳、みたいなものがメニューにありモヤる。ぱっと見のわかりやすさとか、ニュアンスを考えたらそれ以外の名づけ方には悩むけれど。例えばヘルシーとか?肉の揚げ物だからそれは無理があるか。とんかつソースのために久々にごまをすった。厚切りとんかつは、これまた笑ってしまう美味さだった。柔らかさは鶏肉みたい(雑)だけど、豚の味が濃くて甘くて、それで肉の脂も揚げの油も重くない。ソースも美味い。矢場とん惨敗。ここでも友達がきゅうり以外の漬物(たしか白菜と奈良漬け)が苦手だと初めて知る。

霧島アートの森に向かう。泥雨でドット状になったフロントガラス越しに見るひたすら広い空とでかい山。鹿児島市内でも思ったけど、なんでここに立てた?っていう政治のソロポスター看板が多い。とりあえず顔とか名前を見てもらいたいってことなのか。目が悪いのもあって結局顔も名前もひとりも覚えていない。

アートの「森」とだけあってメインは屋外に常設された彫刻で、屋内は広い部屋が1か所と、半屋外のところに草間さんのでかいヒールがある感じだった。階段がないいじわるな滑り台に無理やり登ったはいいものの、降りるのが怖いし、降りるときにビビッて手を少し擦りむいた。アントニー・ゴームリーさんの作品にたどり着くための階段が鬼畜だった。降りていく途中で娘さんを抱っこしたお父さんとすれ違う。腰のつらさを想像してしまう。鬼畜階段を乗り越えて行く価値がある、というか別の場所へ降りていくっていう装置とか時間としての階段も含めて作品だった。館内展示で6人のアーティストが実際に制作や設置をしている約20年前のビデオが上映されていた。アントニー・ゴームリーさんは雨の中まっすぐじゃない木をそぎ倒していた。字幕の色がなぜか青っぽい色で、フォントも謎に怖い感じだった。時代。草間さんが1929年生まれだと知り驚く。ヒールではなく駐車場入り口の「シャングリラの花」を設置している様子が流れていた。草間さんが現地でテンション上がって「シャングリラの花なんですーー」みたいな説明というか語りに対して、黒スーツの担当の方が「はー、シャングリラ、、ww」みたいな返しをしていて、多少のしんどさを感じた。権威。草間さんのサングラス姿はボスでしかなかった。あと、日本人作家のビデオには字幕がなくて(草間さんの声は聞き取りづらい)勿体ないなと少し思った。

泥雨を落とすために洗車機。薩摩川内市に移動。アーケードの感じは高山とか京都に少し近い。川内川沿のパーキングに停める。なぜか屋根がついた橋があり、渡りたくなったので店と逆方向だけど渡る。居酒屋「炭匠だん」で自分は無理せず梅酒ロック、友達は運転があるのでジンジャーエール。粗塩をつけて食べるきびなごの天ぷら。鯛の刺身。さつま揚げ三種。鶏刺し(4年前くらいにあたって以来食べてなかった、今回は完全に大丈夫だった)。だし巻き卵。ごいし鶏の炭火焼き。全部やっぱり生き生きとしていて(正確にはしていたんだな、と想像できて)、濃くて美味い。バイトのたぶん高校生の髪が薄く青緑な兄ちゃんが元気。

座敷で、隣あう机3つとも、会話を聞く感じ友達の会社関係の人(直接は関わってないけど)の集まりだったっぽい。二晩寝たらみんな同じ場所へ働きにいくんだなと思うとなんか可笑しかった。

店を出て商店街的なところを少し歩く。8時過ぎくらいだったけど、8割がたシャッターが閉まっていて暗い。やっている店はそこそこ賑わってた。

友達の家に行く。シャワー浴びて何か映画観るか、となって、最初に選んだのがロシアの映画「365日のミニマリスト」。恋人に振られたショックで何もかも、服すら持たず、雪中を全裸で、ってシーンから始まった。しんどいからやめる。ずっとみたかった「私をくいとめて」に変える。のん、林遣都臼田あさ美橋本愛(敬称略)ってだけですごいけど、脚本の緩急のつけ方がほんとにすごい。映画館でみなかったのを激しく後悔した。友達は橋本愛が出てきたあたりで寝落ちしてた。そりゃ朝からずっと運転してたからな。ありがとう。

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