5/2(土)ドミニク・チェン & 渡邉康太郎 トークメモ&感想雑記

青山ブックセンター主催でzoom上にて開催されたトークイベント。これで初めてzoomを使った。ドミニクチェンさんの「未来をつくる言葉」は持っていて、イベントまでに全部読もうと思ったけど結局無理だった。

「混ぜてくれないと腐っちゃうよ」と声をかけてくる“ぬか床ロボット”「NukaBot」や娘に向けて遺言を書く切なさを画面に具体化させたあいちトリエンナーレ2019の『#10分遺言』など、話題に事欠かないドミニク・チェン。湧き上がる気持ちやほとばしる感情をデジタルで表現する達人−−その思考と実践は、分断を「翻訳」してつなぎ、多様な人が共に在る場をつくっていく。そんなドミニク・チェンがいつも刺激を受けるのが、コンテクストデザイナーにしてTakramマネージングパートナーの渡邉康太郎だ。書き手が込める「強い文脈」と読み手が見出す「弱い文脈」の撚り糸で編み出される「コンテクスト」による「ものづくり」。その思考をあますところなく伝える私家版『コンテクストデザイン』は入手困難本として話題に。ドミニク・チェンの新刊『未来をつくる言葉』との二冊が編み出す豊かな表現の未来を、注目のふたりが語り尽くします。(イベント詳細ページより)

 お互いの著書に書き込んだコメントの写真を画面共有しながら話していく形式。印象に残った点をキーワードごとに書いてみる。(引用箇所と自分の思い出したこと、考えたことの区別があいまいです、悪しからず)

 

コンテンツを「消費する」という表現が嫌い

これはドミニクさんが渡邉さんの本にある「内なる創造」(あってるかな、、)に対するコメントで言っていたこと。食べ物でもなんでも、ただ消費している、ということはたぶんなくて、取り込む中で見えない意味生成が同時に、機微に起こっている。

サカナクションの一郎さんも一時期よく「消費されるための音楽はもうつくらない!」と言っていた。紅白出た翌年のツアーとかそのあたりかな。4月末のポコラヂで遠山さんが言っていた「音楽、ありすぎてないものになってる」とも通ずる気がする。

 spotifyで垂れ流している音楽とか、NetflixYoutubeのコンテンツも、今の暇な「おうち時間」の埋め合わせにしかなっていないかも、と思いつつ、でもこの状況の前に足しげく通っていたライブはそれとどう違うのか?と聞かれると、うまく回答はできない。

 

バズるよりジワる

即効的⇔遅効的の話で出てきたフレーズ。攻殻機動隊の遅効性ウィルスの話も出てきて、タイムリー。種をまいておく、とか、発酵させることで、何かを受け取ったときに生まれた弱い文脈が時間をおいて表出することが重要だし、逆にすべての表出物はその結果でもある。

文章はそこに書かれていないことを余白に読み手が書き込むことで完成する。ライブや演劇の観客は、舞台上に自分の記憶を投影し、自分自身のエピソードとして自然に頭のなかで語りなおしているし、実際に誰かと何かを見に行ったあとに喫茶店や居酒屋でみた作品のことや、そのことに限らず話すことで、それぞれの中で観たものが(一旦)完成する。

ドミニクさんの本の中や、トークの中でも縁起的、というワードが何度か出ていた。

縁起とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。

ウィキペディア

 「たられば」は直接的には役に立たないけれど、「たられば」を事実に基づいて検証して、次の縁起につなげることはできる。そのためにはそもそもアーカイブをどうやって残すか、であるとか、アーカイブの検証方法を確立、アップデートする必要があるんだな、と考えた。

また今になって、いろんなことをNICO Touches the Walls終了に結び付けて考えてしまう。ベボベの小出さんとか、アジカンの伊地知さんみたいに、映画評論とか、料理、もとより、バンド以外の音楽プロジェクトがあれば終了ではなく休止で済んだんじゃないか、とか。でも思い出してみると、彼らのアウトプット、とくにライブで、彼らのやりたいことと観客のリアクション(自分も含めて、だけど)が持続可能性を感じさせる噛み合い方(相互作用?)をしたことはあまりにも少ない。その違和感みたいなものを、ファンを含む関わる人が放置してきた結果だと考えると、むなしいけれど、妥当な結果だと考えざるをえなくなってしまう。

 

気にかける、careすること、気配

 渡邊さんの卒業制作で、離れた2か所にある廊下のフットランプが、片方がそこを通ると、もう片方で通った部分がフッと暗くなる、というもので、単純なつくりではあるけれど、かなり気配を感じられる、というのが印象的だった。H.Oのツインランプ(遠い場所にある2つのベッドサイドランプのON/OFFが同期するというもの)に影響を受けたとのこと(検索しても画像等出てこず、、)。

ドミニクさん「想像はcareになる」。「Take care」→気をつける、気にかけることは重要だけど、難しい。テレビでたまに見たこのCMを思い出した。


★企業CM「気をつけて」篇(60秒)

kiroroのBest Friend っていい曲だな。

あとは、統計で数が多い人だけに着目せず、逆に少ない当事者から必要なことを想像する、考えること。当事者研究の拡大によって、かんたんにいえばマイノリティの方へのcareが進むのではないか、って指摘もあった。

21_21 Design Sightでやっていたという、清水淳子+鈴木悠平さんの「ただひとりのひとのモヤモヤを可視化するワークショップ」も印象的だった。対象の方からひたすらモヤモヤに関する話を聞く。ときおり長い沈黙が生まれるけれど、ただモヤモヤを表す、表出させる、可視化させる、という目的で参加者はその場にいるので、その態度の影響か沈黙が心地いい、らしい。

トリエンナーレ2019の高山明さん主催のパブリックスピーチでどなたかが、「馬鹿みたいに、目の前にしている方の声に耳を傾けることをみんなしないといけない」と言っていたのを思い出した。


Yo La Tengo - Take Care (Live @ Aquarius Records)

 

あとこの映画もみなきゃだな


映画『ちいさな哲学者たち』予告編

 

きれいに「まとめ」とかできるといいけど、自分の技量ではできないので、ドミニクさんの本買って読んでください。

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