210423 鹿児島1日め

旅行中とか、普段使わない移動手段を使うときは、アナウンスとかが聞こえなくなるからできるだけイヤホンしない、って思ってはいたけど、結局ポーターロビンソンの新譜聴いてしまっていた。結果、人身事故で空港行の電車がとっていた飛行機の便が出発する時間まで動かない、という情報を知るのが10分くらい遅れた(yahoo路線をみて気づいた。。)。急いでタクシーのりばへ行く。結果間に合ったし、思ったよりタクシー代もかからなかった。飛行機別便で取りなおすよりよかった、と思う。

無事、鹿児島空港について、出口付近で売ってたさつまあげ(芋とチーズ)を2度目の朝食としてつまみながらレンタカー屋へ歩く。大体空港は歩いて出る想定をされず設計されてるから逆に歩いて出たくなる。レンタカー乗車後、ナビとスマホBluetooth接続がどの設定からできるかわからずテンパる。なんとか繋げてバインのフロスモをsmall town super heroからながす。

ナビに従って指宿をめざす。久々の運転かつ初めての土地なので多少緊張する。基本、海沿いの国道226号線を通るルート。11時半過ぎに砂楽に着く。受付で「午前の受付12時で終わるので、浴衣になったらすぐ浜行ってください」と少し急かされる。浜から少し上がったところにある蚊帳内の公園の砂場みたいな場所で埋められる。あとでコーヒー屋の方に聞いてわかったけど、蚊帳の方は人口で、天然の浜の方は干潮のときにしか入れないらしい。人口の方が温度が適度に調節してあるらしく、10分くらい入っていても火傷する気配はなく、気持ちよかった。

ふろあがり少しあたりを歩く。砂楽以外の廃れ具合が哀しくもかっこいい。(たぶん)砂むしで埋めるスタッフの方(制服?の赤いTシャツを着ていた)が蚊帳の横の堤防でひとり休憩していたのもかっこよかった。

歩いてたらランチやってる居酒屋「悠(はるか)」をみつけて入ってみる。日替わり(唐揚げ)、パスタ、カレーからカレーを選んだ。お姉さんワンオペで大変そうだったけど、逆にゆっくりできてよかった(大豆田2話の「劇場版:逆に愛してる」最高だったな)。カレーは(たぶん)無水カレーに素揚げ野菜とか焼いたミニトマトがのってて美味しかった。あとコーンスープ入れるようなカップにたけのこの味噌汁が入って出てきてそれも美味い。野菜肉魚すべて素材が新鮮、でかめ、味が濃い。鹿児島で食べたものすべてそうだった。カレーがきた直後くらいに元ヤン(雑)っぽい女性4人(ひとりは赤ちゃんを連れてた)が元気に入ってきてなんかとてもよかった。彼女らと店員さんの会話で自分のカレーがその日最後のカレーだったことを知る。

バインのアルバムをバニツリに変えて鹿児島市内の宿へ向かう。右手にみえる桜島がだんだん近くなっていく。鹿児島市内に入ってから見かけたボウリング場の「カレー24時間いつでも100円」のぼりから味と量を想像してみたりする。

宿に大きい荷物だけ置いて鹿児島港桜島フェリーのりばへ。出港直前だっけどおっちゃんが「まだ入るまだ入る!」って入れてくれた、ありがたい。

着港する直前くらいに噴火したらしく、みつけた展望台で歓迎灰を浴びる。早速耳がざらざらする。別の展望台からは遠くにイルカが飛んでるのが見えて驚く。日没直前まで歩いたりぼーっとしたりして過ごす。日本一長い足湯は本当に長くて、けどひとりも入ってなくて切なかった。いままでみた中で一番広いんじゃないかって思った空。

平日で観光客が少ないからか、行きも帰りもフェリーで車から降りる人がほぼいなかった。甲板に出ると風がとても強かった。写真を撮っていると平たいスマホは飛ばされそうになりひやひやする。

鹿児島市内にもどり、いちやなぎのalbumをかけつつレンタカー返却へ。街灯が少なく、区切り線?が消えていて2車線かよくわからん道とかもあり、眠さもありつつなんとか火山灰被りまくったフィットを返す。

宿まで歩き出す。歩き出してすぐ見つけた居酒屋「味の一石」に入る。お店のおかみさんお2人。近所のベテランっぽい方3人(男2女1)がカウンターでテレビ(「コストコ春の新商品ガイド!」的なの)にコメントしつつ飲んでた。焼酎とか日本酒に惹かれるけど身体が終わるので梅チューハイにしておく。カンパチと水イカの刺身は思わず笑ってしまう味の濃さだった。焼飯は「家のチャーハン」って感じのに奈良漬けがついていた。

宿まで30分弱かけて歩く。「コントが始まる」みれたらみたいなと思ってテレビつけたら金曜日なのを忘れていた。金ローでコナン。灰原さんが終盤のいいところで重力加速度の説明を丁寧にしていた。「灰原哀」。「哀」ってつける親いる?って思ってWikiみたら博士が「愛」ってつけようとしたけど本人の希望で「哀」にしたらしい。コナン後、千葉雄大田中圭の音楽番組。ノーベルブライトがゲスト。「こうバズった!」みたいなのにひとり悪態をつき続け、寝た。

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210418

用事があって郊外へ行く。用事が済んだ後時間があったのでテキトーに歩く。ディーラー、回転寿司、コンビニ、AOKI、あさくま、ベビフェ、アピタ。県道沿いの景色はどこへ行っても似たり寄ったり。今ここがどこなのかが道路標識でしかわからない、ような感覚になる。地元のアピタのすぐ近くにもベビフェがあるけれど、そういう戦略なんだろうか。久しぶりにアピタへ入る。アピタ独特の濃い緑色の格子状の入り口。日曜の夕方っていうのもあり、食料品売り場の込み具合がすごい。たまにアピタとかイオンへ行くと、そこにある物量に圧倒される。たぶん天井が高くて1フロアがほぼほぼ見渡せるから。それもそういう設計にしてあるんだろうけれど。そこに行けば衣食住事足りるでしょう感。家族連れが多くて、よくも悪くも「生」を感じる。意外と家の近くにないので久々にミスド食べたいと思って並ぶも、途中でチョコファッションの在庫がないのに気づいて結局買うのをやめた。

 

20210409

在宅勤務での昼休みは、晴れていれば昼食後にpodcastを1話分聴きながら公園を1~2周歩いて、ドラッグストアで食料品を買って家に戻る。今日は、今日upされたPOPLIFEのaiko特集最終回を聴いた。「aikoの政治性のなさ」について話していた。社会の構造に対して、いい意味でも悪い意味でも無意識的、構造の中にいる人、ではなくて目の前の人は「その人」として向き合っている、みたいな指摘をタナソーさんがしていてなるほどなとなった。

市長選が近いから、たまに会う市内の友人には話題がなくなると「そういえばもうすく市長選だねー」と話を振るが、そのあととくに話が続かない、というのと通ずるというか。「私とあなた以外の話をしたってどうしようもない」「投票率上げたって何になるの」っていう空気、を勝手に感じてしまっている。

podcastの中で、ゲストのぽっぷさん(リトルペンギン社)が「ポニーキャニオンの株主にどうやったらなれるか真剣に調べた。」という話をしていて、感動した。構造を真っ向から利用していく姿勢。NICOのマネジメントがーーとかグチグチ言ってないでこういう具体的にできることを探さないといけないなと反省した。

20210314

山下残さんの『せきをしてもひとり』をみに猫と窓ガラスへ行く。

『せきをしてもひとり』は、2004年が初演の作品で、「ダンスの戯曲化」をテーマに尾崎放哉の自由律俳句を取り入れたもの。(イベントページより) 

「ダンスの戯曲化」を試みた結果できた戯曲の最初の頁が以下。

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< せき    cough

 ">"は息を吸う、"<"は息を吐く、行為が記されている場合はその行為をする。この10行を1頁として、1頁ずつスクリーンに投影されていき、山下さんはそれを見ずに演じる(踊る)。観客は戯曲をみながら公演をみる、観客も(息を吸う、吐くに関しては実際に、それ以外は想像で)演じることができる状態で公演をみる、という構造。

スクリーンへの戯曲投影もなく、構造の説明もなかったらどう公演をみるだろうか。おそらく「どうでもいいことをしているな」と思いながら45分前後みつづけることになるような気がする。周りのひとがどんなペースで息を吸って吐こうが正直「どうでもいい」。せきをしていたら、親しい人だったら「体調悪いのかな」と想像したり、心配して声をかけるかもしれないが、名前もろくに知らないひとだったら雑音としか受け取らないかもしれない。そもそも空間にひとりだったら、自分のことを気にかけることができるのは自分しかいない。

 

淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る

 

というところで、去年みた映画『はちどり』を思い出した。ヨンジ先生がウニに(セリフはうろ覚えだけど)「つらいときは自分の手をみつめて、1本ずつゆっくり指を動かすの。私は指を動かすことができるって思えるから」というようなことを言っていた。これをすると、周りのひとや自分のことが「どうでもいい」という投げやりな気持ちをゆっくりと和らげることができるような気がする。

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カレーがとても美味しかったけど、写真はない

終演後、山下さんに質問とか、感想を話す時間があって、「つまづくをtripと訳していて感動した」と言ったけれど、あとで調べたら普通にtripはつまづくという意味でつかわれることがわかり、恥ずかしくなった。

20210313

港まちづくり協議会主催の、おおしまたくろうさんの滑琴(かっきん)ワークショップに遊びにいった。

滑琴について↓


【滑琴の演走 | Slide Guitar】Hatoba, Chuo Ward, Kobe City, Hyogo, January 3rd, 2020

この楽器で街の音を奏でるための楽譜を地図上に描こう、というワークショップだった。街を歩いて、滑琴で滑ったらよさそうなところ、叩いたらよさそうなところ、滑琴関係なくいい音がするところがあれば滑琴は休符、ということでそれも描いていく。滑琴が鳴る/鳴らないことで、それ以外の音もただ歩いているときとは違う聞こえ方になる。大通りはさえぎるものが少ないので風が強く、音も大きい。大通りから1本中へ入るだけで、風も、その音も弱まったように感じた。

物理的な面でいうと、大通り以外の歩道は傾斜や段差が思ったよりも多い。舗装の仕方にムラがあり、凹凸があるところも多い。あたりまえといえばあたりまえだけれど、車道の方が圧倒的にスムーズに滑ることができる。ベビーカーや車いすユーザよりも自動車が優先されているようにも感じられた。

滑琴を通す(意識する?)ことで普段意識しない道の凹凸やマンホール、電柱の表面をじっと見てしまう。街にあるものすべてを自分が音を出すためのもの、としてその瞬間は手に入れられているような感覚になる。グラフィティみたいに怒られる可能性はあるけれど、鳴らすのをやめればそれでおしまいになる。でも「鳴らした/聞かせた」ということはまず自分の中にのこるし、街にものこる、はずだと思う。

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完成した楽譜

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築地口駅の階段で反響させる

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電柱で弦をこする

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地味に重いアンプと受信機

20210311

東日本大震災から10年が経った。その日のその時間なにをしていたか、はっきりとは覚えていないけれど、高校1年の終わりがけ、テストか保護者面談かなにかで普段より早く家に帰る途中、終点に着く直前くらいだった気がする。電車が止まることもなかった。家に着いたら母がテレビのニュース速報をみていて、状況を知った。

数年後、大学の講義(何の講義かは忘れてしまったけど、たしか教養系の何かだったと思う)で担当の先生が「3.11って何の日?」という質問を学生に投げた。最初にあたった人が「??」という感じの反応で、静かに、かなりショックを受けた。さすがに(?)次にあたった人は震災と答えていた。

ショックを受けた、とはいえ自分も9.11が何年だったか、阪神大震災が何年だったか、前者は東日本の10年前、後者は自分の生まれた年、という基準をもとに思い出している。3.11後に起こった様々な災害、北海道、大阪、熊本の地震西日本豪雨は何年何月だったか思い出せない。

よくライブに一緒に行っていた友達と「配信ライブみると実際のライブに行きたくなるし、見だしたらきりないし、最近は無事に配信ライブできますように、みたいな念を送るだけで十分じゃないかと思っている」みたいな話を少し前にした。念というか意識というか。そういうものをなくさない、忘れないことで、好きな人たちが健やかに好きなことを続けられるための行動をいざとなったときに起こせるのでは、という気持ち。

けど、じわじわと「自分の生活もあるし、、」みたいな、ある種言い訳をしていたら間に合わなくなってきている感じがする。思いをはせる、ってことも大事だけれど、ポコラヂで話していたみたいに、身体性をともなった形でできることを増やしていきたい。


折坂悠太 - 針の穴 (Official Studio Live Video)

20210226

1週間5日出勤週末へのカウントダウンが長いようであっという間に終わる。樋口恭介さんがつぶやいてた「なんか知らんが今日は会社というところへ行かないといけないらしい」という気持ちというかモードで機械的に朝支度して会社行って(在宅のときもあるけど、その場合はPC立ち上げて)やれることをやって帰るしかない。たぶんほんとに好きなことを仕事にしても一定期間経つとそういう気持ちになってしまうんだろうな、と考えるとあと3〜40年この気持ちとどうやっていけばいいのかわからん。

帰って梨泰院クラス8話をみた。セロイが復讐のその先の目標をきかれたときの答えがとてもよかった。うろ覚えだけど「自分や自分の仲間が、権力に怯えず、脅かされず、自由に自分の人生を生きられるようになること」と答えていて鳥肌がたった。