20210220

弟が就職で実家を出る(同じ県内だけど)ので、新居を見に行くという理由づけで家族5人で新居近くのはま寿司に行った。1年以上振りの回転寿司。当然?コロナ禍以前みたいに常時回っているわけではなく、席ごとにあるタブレット端末で頼んだものだけが超速で回ってきて止まる。全ての注文を客自身がタブレットでするので、皿を数える必要がない。席の案内もタブレット的なやつ。なので会計のときと、ビール等の超速で回せないものを注文した時だけ店員さんとやりとりする。

タブレットから男性声優の優しい声で発せられる「注文を承りました!」「まもなくご注文の品が到着いたします!」がそこかしこで鳴る中、誰がどう作ったかわからないが美味い寿司を食べた。

誰がどう作ったかわからないのはコロナ禍以前からだけど、すごく久しぶりだからか、回し方が最適化されてすぎているからか、怖くて慣れるまでは少し放心状態だった。今後、回転寿司行きたいって自分からは言わないだろうなと思った。鯖の押し寿司が一番美味かった。

20210213

仕事のストレスが微妙にたまってきていて、ちょっと体重増えてるっていう事実とか(1-2週に1回銭湯で計る)、身体重いなっていう自覚があっても暴食が止められない。この前日の金曜日も野菜のストック買うついでにロールちゃん(ヤマザキ)買ってしまい、23時くらいに1本食いした。

翌日、朝はヨーグルトだけにして、なんかがっつり食べたいなーという欲を満たすためにまぜそば大盛りを頼むも、3分の1くらい食べたとこで少し具合が悪くなる。トイレいってベルト緩めたら完食できたのでよかった。下品な話でごめんなさい。まぜそば食べるたびにもう2度と無理、身体が無理、せめて並にする、って思うけど学習能力がない。

 

重い身体を引きずって坂を登り豊田市美術館に行く。「わが青春の上杜会(じょうとかい)」をずっと「上社会(じょうしゃかい)」だと思っていて、チケット買うときもそう発音してしまったけど、とくに何も言われなかった。マスクととおらない声のおかげ。字はちゃんと読もう。

上杜会展は、同じ時代で同じようなコミュニティにいても個をもって突き進んでくさまがかっこよかった。企画上仕方ないのかもしれないけど、作者の詳細な来歴が作品の横に貼ってあって、そうなると活字把握、要約能力不足により絵をみてる時間よりも文字追ってる時間が長いんじゃないかと思ってしまう。文字追いながら横目で絵をみてはいるけれど。資料でも配っていたけど、絵の横にある文字を意識しないのは難しい。

会員同士がやりとりしたハガキもいくつか展示してあって、そもそも残ってることに感動した。達筆すぎて内容全部は追えなかったけど、すごい批評しあっていてよかった。

 

デザインあ展は、所要時間2時間のところを1時間足らずで出てきてしまった。去年の夏の東京都現代美術館「おさなごころをきみに」でもほぼ同じことを思ったけど、科学館化する美術館とかデザイン展ってなんなんやろうか。やっぱりみんな体験というか、何か生み出して記録(写真撮る)したいっていうことなのか。美術館でもライブでもクラブでも、基本的にぼーっとしたい、自分がいるかいないかわからくなるほど没入したい、何も生み出したくない、っていう欲求とか気持ちで行ってるからだと思う。今後は興味本位じゃなく事前情報ちゃんとみて行こうと反省した。

メイン目的の常設展(コレクション展)、「VISION:作っているのは誰?」。ミヤギフトシさんの映像作品『花の名前』すごかった。花の名前をもとに物語が場所、人へ渡っていって、最後はドラァグクイーンがこの曲をリップシンクする。

https://youtu.be/I1y9-3utnoo

先週末にみた『花束みたいな恋をした』で有村架純さん演じる絹ちゃんが菅田将暉さん演じる麦くんに「女の子に花の名前教えてもらったら、その花をみるたびにその人のことを思い出しちゃうんだって」と言っていた。

少し前に26歳になった。正直中学以前のことをほとんど覚えてない。思い出したくないことが多いから、都合よく消せてしまっているのか。何歳のときに誰と会って、一緒にいて、何をしたのか、多少つらくても思い出せた方がいいような気がする。そのためにどうすればいいかはわからない。

f:id:tatu60wesmon:20210214225615j:image

イヴ・クラインの『IKM(インターナショナル・クライン・ブルー)』

スマホのアップデート

愚痴。

 

ドラマ「MIU404」が始まる前の数分、「SIMカードの不正利用への最低限の対策として、スマホのアップデートは必ずしよう」ということを中居さん司会のバラエティ番組で、「専門家」として出演しているっぽい方が言っていた。

OSのアップデート = スマホのアップデート なのか。スマホの基本的なところはOSによって動いているからそれでいいのか。専門家らしき方が少し苦笑いしながら言っていたので、スタッフ(制作?)との打ち合わせで、「う~んOSって何?ってなりそうだから、簡単にスマホのアップデート、って言ってもらっていいですか?」みたいなやりとりがあったのかな、と妄想してしまった。というか、そういう言葉とか単語に対する軽視の隙を詐欺は突いてくるんじゃないか、とも思う。

 

野木亜紀子さん脚本のMIU404はめちゃくちゃ面白い。アンナチュラルでも逃げ恥でもコタキでも(カルテットでも)、食べ物を食べることがちゃんと描かれるだけでちゃんと登場人物が「生きてる」感じがして安心する(そこがメインではないけど)。陣馬さんが窓からうどん湯切りして仮事務所追い出された後、引っ越し後もちゃんとキッチンでうどん作り続けてるの、慈しみの気持ちが沸いてくる。

 

愚痴2。

 

朝、時計をみるためと、人の声を耳に入れて多少目を覚ますためにNHKあさイチをつけている。少しずつスタジオにゲストも呼ぶようになってきている。で、そこでゲストに対してされる「自粛期間中は何をして過ごしていましたか?」という質問。

「自粛期間」、、、、せめて「緊急事態宣言中」と言ってほしい。前回から書くことに困ると辞書を引用してしまっているけれど、「自粛」をGoogle検索した結果は

《名・ス自》

自分から進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと。
 「報道を―する」 
(Oxford Languagesの定義)

Google翻訳で英語にすると「Self-restraint」、それをまたひっくり返して英→日にすると「自制」。自分を制すること、は、そのための期間を要請されなくても、公(社会?)に関わる行動をする際にはなされるべきことじゃないのか。

「自粛期間は何をされていましたか?」という質問は、「みんなで自粛、してましたよね?私はしていましたよ、自粛。あなたも当然していましたよね?」という暗黙の確認(かなり被害妄想的ではあるけど)に聞こえてしまう。実質的に緊急事態宣言 ≒ それまでより強めの自粛要請 でしかなかったので、間違ってはいないかもしれない。だとしても、「自粛期間は~~」って語り続けることは見聞きしていてかなり不健全だなと思う。

 

「言葉 ≠ 伝わる」


GRAPEVINE - 大人(NOBODY NOBODY) (Official Live Video)

 

劉 慈欣 作「三体」にハマった。Ⅰ巻は紙の本で買って、1週間くらいで読んでしまった。続きが早く読みたい。けど単行本を置いておく場所なんてもうないから深夜テンションも相まってKindle Paperwhiteを買ってしまった。読みやすいし、紙で買った本を読み終わった後、所持し続けるか、売るか、あげるか、捨てるか、というようなことを考えなくてよくなったので、よい買い物になった。

少し前、2か月前くらいに読んでいたら面白さに興奮はしつつも、もっと本気で気持ちが落ち込んでいただろうな、と思う。NetflixでLA92を観たときと同じくらい落ち込んだので、逆に?いえばそれくらい(現実を録画した映像と比べても遜色ないくらい、あるいはそれ以上に)フィクションの中の登場人物がしっかりと生きているように感じた。

Ⅱの上巻、序盤で「三体人にとって思考 = コミュニケートだ。だからなにかを隠す、うそをつく、といった地球人の思考≠コミュニケーションだからこそできる行為が理解できないし、怖い」という設定が開示される。三体世界の実質的に生きるのが困難な環境に適応した結果そのように進化したのか。というか「思考=コミュニケーション」は「思考≠コミュニケーション」より進んでる、ということになるんだろうか。

そう進化することが三体世界に「文化」がない要因なら、進化なんてしない方がいいな。

 

ROTH BART BARONからドラムの中原さんが抜けて、実質三船さんのソロプロジェクトになった。新体制の配信ライブが脱退発表から1週間後に行われて、めちゃくちゃよかった。よかったけど、春の嵐とか、skiffle songとかの、ここぞとばかりに怒涛のように叩く目の覚めるようなドライブ感はやっぱり無くて、寂しさはある。慣れていくんだろうけど、chef cooks meのニーチェさん、KIRINJIのコトリさんのことを考えてると「君がいないことが、君がいることだな」的喪失感に苛まれてしまう。

せめてパーシモンホールまでは、というわけにはいかなかったんだろうな。脱退、とかが必然的に節目になってしまうバンドって形態はやっぱり不健全なのかもしれない。

2020/6/19

仕事の山場的なものをこの週の半ばで一旦超えた、というのと、給付金申請のために免許の住所書き換え、という理由をつけて午後休をとる。

弱めに雨が降っている。警察署に行く途中、大須の栗りんにスピードワゴン井戸田さんがたぶん情報番組の取材で、ちょうど食べ歩きモンブランを食すところに遭遇する。「おいしいーー!」の声がでかい。東京⇆名古屋の往復新幹線代使ってそのでかいリアクションを撮る、録る(中継だったかもしれんけど)。その時も金曜昼間だけど多少行列ができていた。テレビに出たらまた人が増える。すると、「街にもどる活気、コロナ対策は?」みたいな枠つくって、「専門家」に電話して、「気をつけんとねーー」ってやるんでしょう(実際昼間〜夕方の情報番組は月一土曜通院の待合くらいでしか観ないので、そこからの勝手な妄想だけれど)

 

警察署に行くと、3〜40代くらいの黒人男性2人が入り口付近の椅子に座り、その周りに立った3人の警官に何か訊かれている。内容は聞こえなかったので、彼らが警察署で何か問われることをしたのかどうかはわからない。免許書き換えは昼休憩にでもできたんじゃないかと思うくらいあっさり、5〜10分ほどで済んだ。警察署出るときには黒人男性2人と警官はいなくなっていた。

 

家に帰ってNetflixで「きみの鳥はうたえる」をみる。長回しのシーンが多く、でもたぶん台詞は全部書いてある言葉で、演じる仕事も、演じさせる、というか演じる環境をつくる仕事もやっぱすごい。リアルにオールナイトでイベントやって撮ったんじゃないかっていうOMSBがライブしてるクラブのシーンと、シズオが盗んだフラワースタンドからひまわりを抜いて生けてるシーンが好きだった。「生ける」って字面で久々にみた気がする。勝手に引っこ抜いて一回半殺してるのに「生ける」って、残酷だとも思う。

「花を生ける」とGoogle翻訳に突っ込んだら「Flower arrangement」が返ってきた。英→日訳で「live flower」は「生花」だけど、日→英にひっくり返すと「Flower arrangement」。こういう言葉の表現に関しては宗教観とか、スピリチュアル感があるけど、それらが「そういうもの」って感じで扱われる、避けられてるのはやっばオウム真理教トラウマなんだろうか。

 

夜、名駅の東側で久々に大学の友達と呑む。席の間隔あける、とかそういうのはまったくない感じでいつも通りに戻ってる。それがいいとも悪いとも思わないけど。ceroの髙城さんが少し前に、「元に戻り始めた飲食店を外からみてると、そういうインスタレーションに見えてくる」とツイートしていた。この2ヶ月まったく稼げなかった分、なのかいつもの倍以上いるようにみえるキャッチのお兄さん達が忙しなく声かけ、電話かけをしていた。彼らはたしかほとんどマスクをしていなかった気がする。自分もつけていなかったけれど。

話した内容はあんまり覚えていない。状況みてボルダリングと栗りん行く日をつくろうってことになった。

ばらばらのまま束になること

ゴールデンウィーク最終日、10時半くらいに起きる。2012年の嵐のライブ@国立競技場映像を観る。


ARASHI - ARAFES NATIONAL STADIUM 2012【期間限定公開/Limited Time Release】

 櫻井さんから順番にメンバーの紹介ラップをするLa tormenta 2012で、

眠たいわけではないでしょ?

こいつが一応 最年長

絵を描いてる時 目が本気に

なるのが そうでもなきゃマジ のんびり

「この仕事してなきゃプータロウー」

いやいや そんな事 言うなよ

歌を聴かせたら降参だ

「おっさんか?」いやいや大ちゃんだ

https://ameblo.jp/syou-nino-makoto/entry-11479780468.html

これを二宮さんが、「この仕事してなきゃプータロウー」は大野さんが自分で、7万人の観客の前で言えるのは、単純にすごいと思った。この5~6年後、実際に「この仕事して」いない状態になりたい、と言えたのは、このラップにGOが出せるメンバー含めチームだからだったんだろうな。

 

夜、黒鳥社若林恵さんとDos MonosのラッパーTaiTanさんのインスタライブ。みっちり3枠分(3時間)、TaiTanさんは基本聞く側、という感じで、若林さんがこの状況で考えていること話していた。

 

「ライブ」ってなんだったんだっけ

石若駿さんのソロ即興を社のオフィスで撮ったときの話。

若林:「即興ってどうやるの?」

石若:「契機がいくつかあって、それのフィードバックで頭とか身体が動いて、っていうのの繰り返しですね」

若林:「即興ってなにが面白くて観に行ったりするの?」

石若:「終わったあと、演ってるひとが別人になってるんです」

という会話をしたらしい。録音作品だったり、映像作品からも何らかの契機だったり、変化は想像できるけど、アウトプットはもう「これ」っていうものが決まっているから、そこからインタビューとかで過去へ遡って、なんでそういう作品になったかを探る。ライブは、演者のそれまでの物語、音が出る直前までのすべての物語の結果、音がアウトプットされる。その「わからなさ」を面白がりつつ、またお互いの契機にしていく、っていうのが好きでライブに行くんだなっていうことを考えた。

 

現状認識が前提になるのに、日本政府はそれすらしない

今年に入ってblkswn NGG Researchという、各国メディアが発信してる各政府、行政の動きを要約して、コメント入れてひたすら引用リツイートするアカウントを若林さんが作った。まず、日本語ツイートを目に入れる時間を減らすだけで、精神的にスッキリする、とのこと。状況が状況なので、怒りや晒しの発信が増えるのは仕方ないと思うし、Twitter全く見ないっていうのは無理なので、自分もずっと見るのがキツい方(例えば七尾旅人さん)のフォロー外したり、最近良いと思った海外ミュージシャンのフォローを増やして精神の自衛している。

そして、なんでこういった海外情報収集、発信をblkswnがやって政府、行政がやらないのか。やっていたらマスク2枚とか、絶対実行に移さないだろう。やっぱり、現状認識すら「できない」能力不足なのか、「できるけど自分たちがやりたいようにやりたいので、認識しない(ふりをしている)」のか、いずれにせよ最悪。

 

「音楽は公に必要なインフラである」と説得力をもって言えるか

海外レーベルのオーナーに会うと、大抵こういったことを直接質問しなくても話してくる、という。若林さんが珍しく熱く、「てか言えないとだめでしょ」って言っていたのに感動した。

この話を聞いて、blkswnが行ったロンドンリサーチに関する記事を読んでみた。

英国最大規模の次世代アーティストの支援団体、PRS Foundationから、Maxie Gedgeを招致して行ったトークイベントのレポート。

まずPRS Foundationのミッション設定がすばらしい。

私たちは英国全土で才能育成と、ニューミュージック(カバーではないオリジナルの音楽)をサポートすることにより、音楽の未来に投資しています。どういった背景をもつソングライターやコンポーザーでも可能性を実現し、世界中のオーディエンスにリーチできるようにする

「音楽の未来に投資」することで、もっとわけがわからない音楽が生まれてほしい、そしてそれを聴きたい、という、完全にリスナーの鏡。

「文化」の重要性をどういうロジックで説得しているのか? という質問に対しては、

伝えてもわからない方々には、数字として表れている経済効果を示していくんです。そういった統計的なデータと、(アーティストの成功例といった)パーソナルな物語の2本立てで攻めると、『ギャップを改善しなければ新しいクリエイティブが出てこない』とイメージしやすくなるので

 くーー比較対象としておかしいけど、こういう動きがロンドンである裏でオリンピックに嵐を利用する気満々だったり、星野源さんの積み上げたものを無断かつ無料でかっさらう国よ、、、。「日本 音楽 支援団体」で検索すると、JMCEがトップにヒットした。中をみると、「世界進出したいアニソン・レーベル募集」。クールジャパンとなんら変わりなくて、辛くなってしまった。

PRS Foundationに近い動きとしては、アジカン後藤さんのApple Vinegarくらいかもしれない。ただ、大企業や公的機関から資金引っ張ってきているわけではなく、去年の賞金合計は128万円。Only In Dreamsでのレーベル、プロデュース業もしているけど、より多くのアーティストやジャンルに資金や体制が行き届くようにするには、、、

 

どうしたらいいんでしょう。若林さんの話を聞くTaiTanさんが「俺に言われてもなぁ、、」って思いながら聞いているように見えてしまった。

個のナラティブの時代、ではあるけど、それらが全部埋もれて次に繋がらなかったら意味がない。各ジャンルとか、地域に散らばった物語を拾い集めて種にする、次への契機にする、っていうことを考えないといけない。

 

5/2(土)ドミニク・チェン & 渡邉康太郎 トークメモ&感想雑記

青山ブックセンター主催でzoom上にて開催されたトークイベント。これで初めてzoomを使った。ドミニクチェンさんの「未来をつくる言葉」は持っていて、イベントまでに全部読もうと思ったけど結局無理だった。

「混ぜてくれないと腐っちゃうよ」と声をかけてくる“ぬか床ロボット”「NukaBot」や娘に向けて遺言を書く切なさを画面に具体化させたあいちトリエンナーレ2019の『#10分遺言』など、話題に事欠かないドミニク・チェン。湧き上がる気持ちやほとばしる感情をデジタルで表現する達人−−その思考と実践は、分断を「翻訳」してつなぎ、多様な人が共に在る場をつくっていく。そんなドミニク・チェンがいつも刺激を受けるのが、コンテクストデザイナーにしてTakramマネージングパートナーの渡邉康太郎だ。書き手が込める「強い文脈」と読み手が見出す「弱い文脈」の撚り糸で編み出される「コンテクスト」による「ものづくり」。その思考をあますところなく伝える私家版『コンテクストデザイン』は入手困難本として話題に。ドミニク・チェンの新刊『未来をつくる言葉』との二冊が編み出す豊かな表現の未来を、注目のふたりが語り尽くします。(イベント詳細ページより)

 お互いの著書に書き込んだコメントの写真を画面共有しながら話していく形式。印象に残った点をキーワードごとに書いてみる。(引用箇所と自分の思い出したこと、考えたことの区別があいまいです、悪しからず)

 

コンテンツを「消費する」という表現が嫌い

これはドミニクさんが渡邉さんの本にある「内なる創造」(あってるかな、、)に対するコメントで言っていたこと。食べ物でもなんでも、ただ消費している、ということはたぶんなくて、取り込む中で見えない意味生成が同時に、機微に起こっている。

サカナクションの一郎さんも一時期よく「消費されるための音楽はもうつくらない!」と言っていた。紅白出た翌年のツアーとかそのあたりかな。4月末のポコラヂで遠山さんが言っていた「音楽、ありすぎてないものになってる」とも通ずる気がする。

 spotifyで垂れ流している音楽とか、NetflixYoutubeのコンテンツも、今の暇な「おうち時間」の埋め合わせにしかなっていないかも、と思いつつ、でもこの状況の前に足しげく通っていたライブはそれとどう違うのか?と聞かれると、うまく回答はできない。

 

バズるよりジワる

即効的⇔遅効的の話で出てきたフレーズ。攻殻機動隊の遅効性ウィルスの話も出てきて、タイムリー。種をまいておく、とか、発酵させることで、何かを受け取ったときに生まれた弱い文脈が時間をおいて表出することが重要だし、逆にすべての表出物はその結果でもある。

文章はそこに書かれていないことを余白に読み手が書き込むことで完成する。ライブや演劇の観客は、舞台上に自分の記憶を投影し、自分自身のエピソードとして自然に頭のなかで語りなおしているし、実際に誰かと何かを見に行ったあとに喫茶店や居酒屋でみた作品のことや、そのことに限らず話すことで、それぞれの中で観たものが(一旦)完成する。

ドミニクさんの本の中や、トークの中でも縁起的、というワードが何度か出ていた。

縁起とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指す。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものとされる。

ウィキペディア

 「たられば」は直接的には役に立たないけれど、「たられば」を事実に基づいて検証して、次の縁起につなげることはできる。そのためにはそもそもアーカイブをどうやって残すか、であるとか、アーカイブの検証方法を確立、アップデートする必要があるんだな、と考えた。

また今になって、いろんなことをNICO Touches the Walls終了に結び付けて考えてしまう。ベボベの小出さんとか、アジカンの伊地知さんみたいに、映画評論とか、料理、もとより、バンド以外の音楽プロジェクトがあれば終了ではなく休止で済んだんじゃないか、とか。でも思い出してみると、彼らのアウトプット、とくにライブで、彼らのやりたいことと観客のリアクション(自分も含めて、だけど)が持続可能性を感じさせる噛み合い方(相互作用?)をしたことはあまりにも少ない。その違和感みたいなものを、ファンを含む関わる人が放置してきた結果だと考えると、むなしいけれど、妥当な結果だと考えざるをえなくなってしまう。

 

気にかける、careすること、気配

 渡邊さんの卒業制作で、離れた2か所にある廊下のフットランプが、片方がそこを通ると、もう片方で通った部分がフッと暗くなる、というもので、単純なつくりではあるけれど、かなり気配を感じられる、というのが印象的だった。H.Oのツインランプ(遠い場所にある2つのベッドサイドランプのON/OFFが同期するというもの)に影響を受けたとのこと(検索しても画像等出てこず、、)。

ドミニクさん「想像はcareになる」。「Take care」→気をつける、気にかけることは重要だけど、難しい。テレビでたまに見たこのCMを思い出した。


★企業CM「気をつけて」篇(60秒)

kiroroのBest Friend っていい曲だな。

あとは、統計で数が多い人だけに着目せず、逆に少ない当事者から必要なことを想像する、考えること。当事者研究の拡大によって、かんたんにいえばマイノリティの方へのcareが進むのではないか、って指摘もあった。

21_21 Design Sightでやっていたという、清水淳子+鈴木悠平さんの「ただひとりのひとのモヤモヤを可視化するワークショップ」も印象的だった。対象の方からひたすらモヤモヤに関する話を聞く。ときおり長い沈黙が生まれるけれど、ただモヤモヤを表す、表出させる、可視化させる、という目的で参加者はその場にいるので、その態度の影響か沈黙が心地いい、らしい。

トリエンナーレ2019の高山明さん主催のパブリックスピーチでどなたかが、「馬鹿みたいに、目の前にしている方の声に耳を傾けることをみんなしないといけない」と言っていたのを思い出した。


Yo La Tengo - Take Care (Live @ Aquarius Records)

 

あとこの映画もみなきゃだな


映画『ちいさな哲学者たち』予告編

 

きれいに「まとめ」とかできるといいけど、自分の技量ではできないので、ドミニクさんの本買って読んでください。

www.shinchosha.co.jp

 

思い出す①

結局やっぱり、半年放置していた。音楽も記事もありすぎて(目に入れすぎているのかもしれない)自分が何か残さなくてもいいか、と思い続けた結果の今。

前回が9月だったので、それからのことを思い出せる限りで思い出す。

 

2019年10月

6日、butaji×高井息吹@KDjapon。折坂さんと共作の「トーチ」を初めて聴く。めちゃくちゃやさしいけどつよい曲、という印象。お二人とも、歌う曲をその場で決めていた。高井さんをあまり前情報入れずに観たら衝撃を受けた。軽率な感想だけど、我々世代の矢野顕子。屈託がなさすぎた。最後は「抱きしめて」を一緒に。


butaji - 抱きしめて

前半はトリエンナーレ会期中。会期最後の週末土曜に台風直撃。優河さんが久々に観られる、と楽しみにしていたなごの音楽祭も中止。このときは確かJRも早い段階から終日運行停止を決めていて、ライブも軒並み中止or延期。「さあそっちはやるのかい?やらないのかい?」みたいな絶妙なせめぎあいが各イベントやお店であった。このときに、「外に出られなくなる」っていうリスクをもう少し深堀できていたら、とも思う。

 22日、OGRE YOU ASSHOLE@クアトロ。火曜日祝日だけど、愛知県ではほとんどその概念はない気もする。というのもあってか、段上がった最善には椅子が出ていて少し凹む。サマファンのDJは最高。アルバム「新しい人」リリースツアー。明るいディストピア感、に合うからかわりと初期の曲を挟み込みつつのセット。最初に観たときには完成していたけど、まだ深くなりようがあるのか、と驚いた。


OGRE YOU ASSHOLE 『また明日 (alternate version)』Live at EX THEATER ROPPONGI

 

27日、CRCK/LCKS@池下UPSET。日曜ってのもあるのか、ほぼ満員でうれしい。そして初名古屋ワンマン。小田さんワントップで真正面向いて、4人は後ろに横並びスタイル。新曲もめちゃくちゃよかった(正直あとで出たTemporary2で聴くよりよかった)し、全体の流れもすごく綺麗。サーチライトは毎回泣いてしまう。

 

10月は中盤から仕事が理不尽な詰み方してきて、わりと気持ちがギリギリだった。行く気満々だったけど平日でライブあきらめたのも10月末のペトロールズ@ダイホが初めて。

2019年11月

 参加2回目のFRUE@つま恋。往復鈍行で行こうと思っていたけれど、仕事で疲れて行きは新幹線。ceroとか水カンがいるとはいえ、前回に増して渋い面子。

f:id:tatu60wesmon:20200502225050j:plain

FESTIVAL de FRUE 2019 Timetable

予習とかしなくても安心して飛び込めるオーガナイズ、って本当に貴重。前年より客数も増え過ぎない程度に増えていた感じがしたし、どちらのステージもサウンドシステムがかなり増強されていて、音響死角がかなり減っていたと思う。

初日は予備知識なしでみたvesselにくらってしまった。


Vessel - Paplu (Love That Moves The Sun) Live at Club2Club 2018

うん、これは「くらってしまった」としか書けない。最初のパートで劇場の客席の間を這い回る女性の映像があり、トリエンナーレの劇団アルテミス「ものがたりのものがたり」に出てきた「劇場に生きる種族」を思い出した。

2日め、Laraajiヨガセットからスタート。ポーズをキープしてストレッチ、というよりは笑いヨガ、というか、完全にこれもトリエンナーレホドロフスキー。草むらに完全に力抜いて寝転がった状態から、少しずつ起き上がって、指先まで動かすことができるのを意識して、みたいな。ポッドキャスト:こんにちは未来、でたまに出てくるinner peace(内なる平和、心が平和な状態)の保ち方として、日本はスピリチュアルに関して懐疑的な空気があるけど、自分の身体の状態を把握する方法の1つとしてありだなと思う。

ceroを待つ人が増えても2列めくらいまでしかいないのがこのフェスのよいところ。最前で観ることなんて今後ないと思い、はしもっちゃんの真ん前でみる。まさかのroofを演奏。ホールの隙間から見える薄曇りの夕方の木々、とか多少の廃墟感とすごく合っていた。髙城くん:「こんな暗いフェスないよね、最高」。ほんとうにそう。珍しく街の報せの序盤で歌詞が出てこずやり直す。

名古屋帰ってきて、のろしレコード@ブラジルコーヒー。夜久一さんの衝撃。


夜久一「流れ者」

アコギからエレキの弾き語りに転向して1年弱(まじでエレキの音源も動画も見つからなかった)、でなんでそんなことできるの?っていうエレキギター。ツマミでのボリューム調整とか全部含めて、ニュアンスの鬼。まさに「ギター侍」って冗談なく言えてしまう。でも喋ると嵐の大野さんみたいな喋り方。折坂さんもそうだけど、軽率な言い方をすれば、演歌とフォークの今の音楽をまっすぐ意味のある形で繋げている人だと思った。

 

15日、金曜日。昼休憩でLINEを開くと、NICO Touches Wallsからの画像が来ている。やっと1125の告知か、と思いつつ開くと、バンドの「終了」お知らせ文。


NICO Touches The Walls - 18? **MUSIC VIDEO**

このMVみて、アルバム出る直前、アルバムの内容もバンドの先行きもめちゃくちゃ不安になった。けど、リリースされたアルバムもライブも、吹っ切れたようにやりたいことをやった結果最高、という状態で、この先もいろいろありつつ続いていくと思っていた。結果的にコロナでライブもそうだし、バンドでスタジオで「密」に制作もできなくなったから、タイミング的にはよい、ともあとづけできるかもしれないけど。でも、大阪で最後に聴いたDemonの「生きる」はNICOとして、じゃなくて、それぞれ個人として、ってことだったの。

半年近く経って、cero髙城くんのソロアルバムインタビューで、「ずっと同じメンバーと一緒にいるのは、ときに不健全になる。」って言っているのを読んで、多少救われた。バンドとしての色、業界でのポジション、人気、を執拗に求め続けられて、メンバーが最近これ聴いてる、とかってラジオで言ってもファンが調べて聴くか?というか、「ファン」って言いながらMusicFMで聴いてるんじゃないか?みたいな状態で続けるくらいなら、離散した方が健全なのか、とあらためて思えた。

 

長くなったので、続きは次で。